ナンコロブログ - そよ風編-

子育て.仕事.日常の中の、びっくり‼️など。

懐かしい 昭和の小学生

こんにちは。 そよかぜです。

きがついたら、あと少しで、7月です。

私の年齢になると、本当に時間が、速く感じます。

まず、一週間が、早い‼️ えっ、もう、金曜日⁉️ このあいだ、このドラマみたよね。?みたいな。

そのつぎは、もう月どころか、年単位に、早くなりますね。

子供の頃は、一週間が、長かった〜。

土曜日も、授業が、あったし。ほとんど、家と学校の往復 (当たり前だけど)

小学校は、4回転校したけど、どれも、中途半端で、卒業式した学校は、5年の2学期からだったから、

結局、林間学校には、行けなかった。転校まえの学校が、まだだったのに、転校先の学校は、終わってた

という理由で。

だから、あんまり小学校には、思い出は、ないんだけど、2番目に通ってた学校だけは、

いい思い出が、あります。

2年生の、二学期から、5年生の、二学期まで、通ってました。

いまから、もう、30年まえの、話ですが、大阪市内の、学区ですが、学校まで、バス通学してました。

どんな気持ちだったのかは、おぼえてないんだけど、月に一度くらいある、集団下校の日は、

バスの、混みかたが、ハンパではなく、もう、ギュウギュウ詰めで、大変!

その頃は、後ろから乗って、前で降りるカタチだったんだけど、後ろからのって、前まで行けません‼️

ムリです。

何回か、降りれなくて、終点まで、行った記憶あります。

いまだったら臨機応変に、後ろから降りるとかできるけど、もともと枠から外れる考え方が、

できない子供だったから、きつかったと思うわ。

自分で自分がかわいそうだったな…

終点までいって、結局そこから、また歩いて帰るってなんなの?

もう、一回バス乗ればよかったのにって。


これが、いい思い出では、ないんだけど、笑い話になる。から、まぁいいか。

ほんとに、よかったのは、先生です。

いまでも、ときどき、思い出すくらい、好きな先生がいました。

昔は、学級会という時間が、あって、いまの時間なら、なんていうんだろう…出てこない。

あっ、ホームルームだ!


その時間は、特になにもなかったら、校庭にいって、先生が、首から下げてるカメラで、

よく、写真を、撮ってくれました。

今の時代だと、それはダメですよね。

その先生は、放課後の、私たちの、様子とか、カメラに収めてくれていました。

それを、あとから、焼き増しして、何枚かいまでも、もっています。焼き増しわかりますか?

きにいってるのは、唯一私が自慢できる足が速かったと証明できる写真。

運動会の、徒競走で、一等で、テープを切った瞬間の写真です。

その写真を、見るたびに、その先生を思い出して、懐かしくなります。

先生まだ、元気ですか?

映画 『 狐狼の血 』 を観て…

こんにちは。 そよかぜです。

このあいだ、息子から、映画 「狐狼な血」よかった?

かというラインをもらい、面白かったよ。


エグイ、エロイ、もあるけど 役所さん カッコよすぎー! 松坂桃李くんも、よかったー!

ほんで、見に行くん? って、聞くと、うん。 彼女のBDデートでな。 はっ?

デートで、この映画は、ないのでは? と息子に、余計な一言を、言いました。


が、 息子の話によると、彼女は、youtubeで、映画の予告編を、観て大丈夫。やて。

ヘェ〜 それならなー っと納得しました。

後日、映画 よかった!と、連絡があり、彼女は、どうやった?かと聞いたら、

映画観たそのあとすぐに、本屋にいって、原作本 買ってたよ。って、

えーーーー⁉︎. 😳

そのまた、後日、今 ふたりで、「狐狼の血」に、はまってて、

今度、映画の舞台に、なった広島 .呉 に、遊びに行くねん。との報告。

いまの、若い子は、何に、はまるかよくわかりません。

でも、二人が仲良く楽しくできてるのなら、なんも言うことは、ありません。です。


最後になりましたが、映画 「 狐狼の血 」は、昭和のヤクザと警察の、お話しです。

こどもにとって、先生って、大事ですよー!

こんにちは。 そよかぜです。


久しぶりの更新で、なにから、書こうかまよっていますが… これにします。

きょうは、息子の、小学校と、中学校のときの、先生のはなしです。

まずは、小学2年のときの、担任先生。

ある日息子は、休み時間に、校庭に、あそびにいきました。

そのときに、4年生の、男子4.5人がジャングルジムの上から息子にドッチボールを投げてきました

まぁ軽く悪ふざけの対象になったんですね。

息子は、泣きながら職員室に、向かい担任の先生に、今あったことをはなしたそうです。

そのあと、先生が、とった行動が、いまも忘れられません。

すぐ、息子と一緒に、校庭にいき、「わたしのだいじなこの子を、泣かしたのはだれやー」と

その男子たちを一喝‼️

男子たちも、担任の先生から、きちんと、叱られて終わりました。

先生が、言った 【わたしのだいじな子】 というのは

きっと息子には、自分は先生にまもられてるんや。

という安心感、信じる心、を持たせてもらったと感謝しています。

いまも、まだその気持ちは、健在してますね。

つぎは、中学3年のときの、担任の先生です。

中学校になると、各科目ごとに先生が変わるので、担任といっても、小学校とは、全くちがいますよね。

たとえば、社会科と、ホームルームで、合うくらい。3年だったので、進路相談もありました。

息子は、優等生ではなかったので、先生には、手がかかる生徒だったとおもいます。

ですが、3年最後の通信簿に、書かれた先生からのコメントが、わすれられません。

《 いつまでも夢みる夢男くんでは、いけません… 》




通信簿なので、親が必ず見るとわかって、書いてたとおもいます。

夢みる夢男くん。??? って

とっくに、夢からさめて、現実の世界で、がんばってますよーー せんせー!








じゃ、また。

息子からの、プレゼント

こんにちは。 そよかぜです。

今日は、母の日でしたね。

このあいだの、ブログで うちには、母の日は、ないですね〜!って話しました。


それが、あったんです。‼️

さっき、離れて暮らす息子からLINEが、きました。

文面のままです。

息子 「 今日は、母の日なので、新潟行った時の楽しそうな写真をあげましょう」と

そのあと、友達と楽しそうに笑ってる画像が送られてきました。

ウフフ( ´∀`)

こんなプレゼントもらったことないし、こんなセンス 父にも母にもありません。

ありがとう 息子よ。

じゃあ また。

企画は、突然 実行されます。

こんにちは。   そよかぜです。

 

最近 重たい話が続いたので、今日はちょっと変わった体験談を…

 

10年前、京都府北部  に住んでいました。

 

だんなはんは、大阪にいたので、しょっちゅう、クルマで、遊びに行ってたんです。

 

そのときに、考えていたことは、一度ヒッチハイカーを、乗せてみたいという

企画でした。

 

その日が  突然きたんです。(`・ω・´)

 

田舎の何にもない道に、現れたヒッチハイカー、躊躇なくクルマを止めると

大きなデイパックを、後部座席に、放り投げて ふつうに助手席に乗ってこられました。

 

「えっ、外国の方⁉️」        一瞬 固まったわたし。        

自慢じゃないですけど、まったく英語は

話せません。ƪ(˘⌣˘)ʃ

 ほぼジェスチャーと、単語だけの会話  聞けたのは、

☆イタリア人

☆ 26歳  

☆行き先は大阪  

この3つだけ。

 

名前を聞くのも 忘れてたくらい必死でした。  なにが必死かもわかりませーん。

 

ひたすら高速を、飛ばして、大阪へ。

梅田の阪急百貨店の前で、降ろして。「 バーイ!」

 

これで、念願だった  [ヒッチハイカーを乗せる]企画は終了しました。

 

追伸     この企画  第2弾は、ないです。

 

 

じゃあまた 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母の日は、憂鬱…

こんにちは。     そよかぜです。

 

明日は、全国的に母の日です。  ( あたりまえ)

 

そよかぜ家には、ないです。たぶん。  

母の日のプレゼントなんて、ないですね。

でも、私には、それが、とても気持ちいいんです。

なにか、しなくてはみたいな義務感。が、すごく窮屈だったから。

 

私の母はいわゆる毒親です。

 

この言葉が、できたおかげですこしだけ楽になりました。

 

母がそういう人だとわかったから。

私は、三人兄弟の、長女だったので、母は一応可愛がってくれてたとおもいます

 

でも、高校から短大すべて母が決めました。

いま思うと なぜ反論しなかったのかもわかりません。

ひとつ言えるとすれば ただ 怖かった  。意味もなく、怒られる。

母の感情に、振り回され、顔色を伺う子供。

小さい時にいやだったのは、人前で、けなされること。

きっと母は、謙遜してるつもりだったかもしれませんが。

こどもには、わかりませんね。

だから、自信というものが、まったく持てずに、大人になりました。

 

結婚して子供ができたら、絶対自分は、そうならないと思ってました

でも、人は、されてきたことしかできないって、そうだとおもいます。

どう愛情表現すればいいのかわからなかったから。

たまたま、結婚しただんなはんは、たくさんの愛情を受けてきた人だったから、

よかった。

私も子供と一緒に育ててもらえたから。上手くいえないけど、私に欠けていた

自分で、決断するという1番大事なこと。

自分は自由に、生きていっていいんだ。ということを、教えてもらいました。

欲をいえば、もっと早くわかりたかったかな。

 

じゃあまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パニック障害に、なった私

こんにちは。そよかぜです。

きのうは、パニック障害の症状が、はじめて現れたときのことを、書きました。

私の場合は、電車だったんですね。

病院の診察で、先生から、言われたことは、ストレスからくるパニック障害



例えれば、よく聞きますが、コップの水が、溢れてしまった状態…

そのコップの、大きさが、一人一人ちがうので、どこが限界かなんて、わかりませんよね。

わたしも、自分では、かなり大きなコップだと、おもっていましたから。

いい意味ではなく、あまり物事を深く考えない いいかげんな性格。 今もです。

通院生活が、始まり、まず困ったことは、電車で、行けない。

怖くて、乗ることができない。

なので、だんなはんに、バイクで、病院まで送ってもらったり、原付きバイクで、通ったりしました。



とにかく、電車が、絶対、だめだったんです。

頭のなかで、いちばん最初の、恐怖だけが思い出されて、


消えろ!! 他の事をかんがえろ!!


と、おもっても それが、できないんです。

苦しい経験でした。

あの日から、もう10年以上たち、発作もほとんどなく、生活できるようになりました。


それでも 電車は、苦手です。 (泣





それでは、また。